温暖化・海進・城館跡

温暖化・海進・城館跡

 執筆:准教授 佐々木崇徳

 今年も暑い夏が始まってしまいました。気候変動について国際的に関心が高まり、気候変動に関する政府間パネル(IPCC : Intergovermental Panel on Climate Change)が設立されたのが1988年のことで、かれこれ13年になりますが、その間私たちの経済活動などと機構との関係について評価が行われ、様々な対策が講じられてきました。しかしながら、依然として気温の上昇は続いているのが現状です。

 こうした世界レベルで問題となる大きな変動を考える際、歴史をひもといてみるというのも一つのやり方です。気候や気象に関しての研究は古くから行われていますが、その精度や真贋について、研究者以外にとって難解な部分もあったせいか、今日の私たちの環境との連続性を意識することは少なかったと思います。しかし、ここ最近、特に東日本大震災以降は、平安時代の貞観地震(869年7月9日)のように歴史的な災害などについても目を向けられる機会が増えたように感じます。

 さて、こうした視点で過去の温暖化について調べていくと、興味深い情報が出てきます。現代から過去に遡っていくと、これまでも温暖化と寒冷化は何度も繰り返されているのです。中世温暖期と言われている800年~1300年頃は、現在よりもさらに温暖で、当時の記録には東日本では飢饉が発生せず、西日本では大干ばつによる飢饉の発生が記録されています。

 ちなみに近年の温暖化の問題を指摘する際は、江戸後期か明治時代を起点として表現されていることが多く、それ以前の気候変動についてはあまり触れられておりません。しかしながら科学的には古気候学などの分野で、地層や海水底、南極の氷床コアなどの分析から古代の気候も明らかになってきており、現代との比較も可能になってきています。それらの結果から見ると実は、現代の気温上昇よりも縄文時代の温暖化の方がスピードが遙かに速いことがわかってきています。ですから現代の温暖化スピードが「過去にないくらい」というのは若干言い過ぎなのかもしれません。

 さて、話を戻して、縄文時代においては今よりも遙かに温暖であり、そのために現在よりも海面が高かったことが知られています。海面が高いと言うことは海岸線が現在よりも内陸寄りにあると言うことで、これを「海進」と呼びます。

 筆者の研究室では人工衛星による古代から中世までの城館跡の解析手法の開発に取り組んでいますが、対象としている城館の位置を地図上に示してみると、その多くが縄文海進時の海岸線よりも内側にあることがわかります。特に古代の城館は古くからの集落跡なケースが多く、縄文期の物も少なくありませんから、かつての海岸線より内側にあるというのも頷けます。後の中世城館の多くも、こうして残った城館跡を改修しているケースが多いため、同様の分布になっているのではないかと思われます。

 最後に、さらに過去に遡り、私たち人類よりも古い時代、恐竜が絶滅した9千万年ほど前は、現在よりも250mほど海面が高かったそうなので、その時代の海進をシミュレーションした結果が下の図です。尤も、このくらい昔になるとプレートの移動や地層の押し上げなど他の変化があるので、そのままとはいえませんが・・・。