八戸工業大学は創立50周年を迎えました

八戸工業大学は創立50周年を迎えました。

執筆:教授 関秀廣

 八戸圏域の中心都市である八戸市は、海から拓け、海とともに発展した街であり、日本有数の水揚高を誇る漁業、その豊富な水産資源を活用した水産加工を始めとする食料品製造業が多く集積しています。東北地方初の八戸火力発電所の操業開始や1964(昭和39)年に新産業都市に指定されたのを機に、八戸港、道路、鉄道などの産業インフラが整備され、製紙工場、金属素材工場、飼料穀物コンビ ナート等の立地が臨海部を中心に進展してきました。
 70年ほど前ですが漁業関係者にとって無線技士免許を取得することが急務でした。この人材養成を目的に1956(昭和31)年に学校法人八戸高等電波学校が組織され、現在の八戸工業大学第一高等学校が位置する白銀地区に八戸高等電波学校が開学しました。ここに八戸工業大学のルーツがあります。その後、八戸地区が新産業都市指定され、「むつ小川原地域」がナショナル・プロジェクトとして位置づけられたことから、四年制大学の工学部が無い青森県を主な背景として、八戸工業大学の設立計画機運が高まりました。1972(昭和47)年、本学は将来の東北の経済を担い、地元八戸市を中心とする自治体や産業界、教育界の強い要請のもと、青森県初の工学系4年制大学として発足しました。
 Photo.01 は1970年代の創立当時の八戸工業大学です。周囲は広大な丘陵でした。赤枠はこの時建てられていた5棟を表しています。機械工学科・産業機械工学科・電気工学科の3学科でスタートしました。その創立から50年経過したキャンパスがPhoto.02です。2学部の18棟に拡大しています。周囲は陸上グランドに加えて、野球場3面、サッカー場2面、テニスコートなどが整備されています。右隣には一部大学の敷地を提供した八戸久慈自動車道の八戸南インターチェンジが設置されています。50年間様々な紆余曲折を経て現在に至っています、