10年後、20年後

10年後、20年後

執筆:教授 石山俊彦

 十年一昔という。世の中の移り変わりを表した言葉である。実際の世の中の移り変わるスピードはかなり速くなっているものの、10年という区切りの良さで今でも使われている。
 今年は東日本大震災、福島第一原子力発電所事故から10年後にあたる。テレビや新聞等でも、関連した報道が続いた。その中には、避難先で家業を再開させた人、避難生活を続ける人、事故後に福島第一原子力発電所に配属され事故復旧に携わる人など、様々な人々の「それから」が報道された。
 
 さて、科学技術の世界では、10年前、20年前というのは、どのような時代だったのだろう。

 10年前の2011年には、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)による異常気象の報告があった。異常気象は10年後の今日でも解決されておらず、未来へと続く宿題となっている。年末には、欧州からヒッグス粒子(物質に質量を与える素粒子)の兆候を捉えたという発表があった。この観測結果は2013年のノーベル物理学賞につながることとなった。ゲームについては、当時は携帯型ゲーム機全盛であった。「ニンテンドー3DS」や「PlayStation Vita」などが発売されていた。

 20年前の2001年は、この小論を読んでいる学生諸君の生まれた頃だろう。当時は光ファイバーが有料開放され、「IT基本法」や「e-Japan」など、ネットワークの利用が国や社会全体で推進され始めた頃である。Yahoo! BBなどの民間企業によるブロードバンド市場への参入も始まっていた。携帯端末についてはスマートホンではなく、NTTドコモの「iモード」が主流であった。インターネット専用銀行が事業を始めたのもこの前後である。

 こうしてみると、現在の生活や科学技術から、10年後、20年後の世の中を予想することの難しいさがわかる。科学技術の中には、10年後でも未解決の科学問題、現在の技術の延長線上で進歩するもの、破壊的イノベーションと表現されるような全く新しい技術の出現など、様々な形態がある。この小論を読んでいる学生諸君の10年後、20年後は30歳、40歳と社会の中堅と言える立場になっている。その頃、皆さんはどのような技術に囲まれ、どのような生活を送っているだろう。想像してみるのものも楽しいことである。

 最後にお気づきの読者もいただろうが、表題中の「20年後」は、オー・ヘンリーの短編小説「二十年後」にヒントを得た。「二十年後」は、20年後のニューヨークでの再開を約束して別れた2人の友人の話である。ひとりは西部で金持ちとなり、ダイヤモンドを散りばめた豪華な格好で待ち合わせの場所にやってきた。そこに現れた男は…。短編小説の名手といわれたオー・ヘンリーならではの結末が用意されている。未読の人は、ぜひ、一読をおすすめします。