新旧技術・価値観の橋渡し
執筆:准教授 佐々木崇徳
投稿日:令和5年2月1日
世の中には次々と新しい技術が登場し、生活が便利になっていく。最新技術によるものもあれば、斬新なアイディアによるものまで、枚挙にいとまが無いほどである。
「便利なツールがあるのなら、それを使えばいいじゃない」
といわれるが、確かに至極合理的ではある。 例えば電子卓上計算機(電卓)、確かに数字を打てば計算結果がはじき出される。その計算結果は正確で、しかも素早い。昔は筆算、暗算が基本で、ちょっと進んでいる人は算盤を使って計算していた。それに比べてなんと効率的であろうか。
しかし、ちょっと待ってほしい。電卓は確かに正確で、その途中計算の仕方を知らなくとも計算結果を得ることはできる。だが、その答えは正しいのか?確かに電卓は計算ミスをすることは無い。しかし、その途中の数字や計算記号など、関数電卓であれば括弧の範囲や関数などが間違っていた場合、さらには入力した数値自体が間違っていた場合、その結果は意図したものとなっているだろうか。昨今大学の定期試験などでも電卓の使用を認める場合も多くなっているが、正答率が上がっていたり、解答時間が短縮されていたりといったことは、実感としてはあまり感じられない。
電卓を使うことで計算過程を考えずに、あるいはおおよそどの程度の答えになるかを予想せずに電卓を打ち、その結果を転記する作業を行っているに過ぎないのでは無いかと疑いたくなる。
そもそも便利なツールというのは、不便な時代を知っている人から見た価値観である。はじめからそのツールが身近にある人に取ってみれば、特段便利というわけでも無く、当たり前のツールである。しかし、不便な時代においては、ツールに頼らずに自身で解決する手段を必死で身につけ、それを使いこなしていた。そこに新いツールで作業が効率化されて、正確かつ高速な作業を可能にしている。
そうはいっても、今筆者のような世代が感じていることは、おそらくもっと前の世代も感じていたことであろう。世代間の考え方や能力の差について、「最近の若者は」という嘆きの言葉は紀元前3000年頃にエジプトですでに言われていたようである。しかしそう言われても5000年間着実に文明は進んでいるわけだから、翻ってみればこういった発言をしている人はその過渡期に於いて、次の世代を心配している一方で、新しいスタンダードに取り残される不安を抱えているのでは無いか、ともとれる。
筆者らは大学で教鞭を執る立場にありながら、常に新しいことを模索するという特殊な仕事をしている。そのような中で、やはりこの新旧の壁に頻繁にぶつかっており、日々学生との向き合い方を模索している。技術と価値観が変遷していくなか、我々は古い価値観を押しつけるのでは無く、古い知識や技術の利点を伝えて、新しい世代がそれを選択して継承してくもらえるような工夫を求められているのかもしれない、と思う今日この頃である。