八戸工業大学同窓会報第11号掲載記事(2007年発行)
特集記事-増田陽一郎先生のご退職に寄せて-
昭和53年電気工学科卒(増田研究室) 都谷森 清さん
現在:株式会社弘前機械開発 代表取締役

先ずは、「増田陽一郎先生、長らくご苦労様でした」。先日、最後の講義を末席で最後の部分だけでしたが公聴させていただき、30年前の風景がふと頭をかすめました。当時は何でもない一連の一コマまであったような気がします。先日、増田先生の最終講義に出席した時は、30年前の記憶とは別に一人の人間としての成熟という事をちょっとだけ見せていただいた様な気がしました。考えてみれば、私もちょっとだけ年月を経て来たのかもしれません。
今の私の年齢は、増田先生が一生懸命教育・学問に大いに係わって富に熱い時であったと思います。第2次世界大戦が終わり、人の生き方が国家の制約無しに何でも選択できる時代を迎えた時に、増田先生は多感な青春時代から未だ混迷を続ける激動の日本で、様々な人々との出会い、自分で自分の生き方を選択して行く様は、学問に対する興味と国家・社会への関わりを教育現場で整合性を持つ重要性を理解し、教育者たる学者を目指していたのではないかと勝手に思っています。それ故に増田研究室は、「礼」「義」であり、指導していただいた感謝は「忠」で師に対して「信」でなければならないのでありました。学生当時、人生未だ未熟であります若輩共は「礼儀中心」の甚だカビ臭い研究室だったのかもしれませんが、今はこのカビ臭いのが無くなるのは、冬の季節到来を予感させる冷たい木枯らしを連想いたします。
恩師であります増田先生は、「諸行無常」の世の中で、全てに対して学んでいかなければならない人間の姿勢を先生の師からも学び「礼儀中心」を持っておそらく出会う全ての人間に対して実践してきたのではないかと私は思えるのであります。特に、私の仕事で増田先生に相談し、我々の社会通念ではあり得ないくらい様々な人物を紹介いただき、色々な形で応援をいただく事が多々あり驚きが多い事も前述の確固たる実践に他ならないと思います。未だ増田先生は元気でありますから、我々に未来を差し示していただけると思います。