新渡戸稲造と武士道

新渡戸稲造と武士道

No.09106/2009.03.13

執筆:准教授 柴田幸司

 八戸市内から車で30kmほど走った十和田市の中心部に貴重な資料が収蔵されている新渡戸記念館があります。新渡戸稲造先生は当時まだ原野だった三本木原を稲生川の灌漑工事により拓いた新渡戸翁を祖父に持ち、それを発展させた新渡戸十次郎のもとで1862年に盛岡市で生まれました。博士は札幌農学校に入学し「太平洋の橋になりたい」と東京大学に進学したのち、アメリカに留学します。帰国後は札幌農学校の教授に就任し多忙な日々を送りましたが、カリフォルニアでの療養中に「武士道」を執筆します。そして1900年、38歳にて英文「BUSHIDO」が出版されました。その後、校長に就任した東京女子経済専門学校付属高等学校では「一.人の子を預かる以上は親心を以ってこれに対すること」と説いています。晩年は国際間の使徒として平和のために捧げます。私たちは日々の慌しい暮らしの中つい忘れがちになってしまいますが、氏の世界観を思い出し、おごることなく尊敬、慈愛、感謝の念をもって1日1日を大切に過ごしたいものです。